いろはにわか

にわか者の感想文です。整合性より感受性。

ピクサーの映画がつまらないのはお前が悪い

 最新作「リメンバー・ミー」に対する攻撃的な感想です。
 リメンバー・ミーに対する、攻撃的な感想です。
 
 見た直後の直感による感想なので、情報や知識が足りない部分があります。
 例えば「原題“COCO”ってどういう意味? なんでこの題名?」と思っている程度の知識のなさです。もしかしたらスペイン語でほにゃららという意味を持つ単語なのかもしれませんが、まだ調べていないので知りません。
 ついでに他の人の感想も読んでいません。映画を見た感想、そのまんまです。
 
 当然ネタバレを含みますし、既に見た人でなければ何が何やらかと思われます。
 また途中で「カーズ/クロスロード」「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」にも触れていて、それに関するネタバレもあります。
 それでもよければどうぞ。
 
 
 
 
 
 

なんか評判がいいらしい

 見た切欠はこれ。元々TOHOで何度か予告は見ていて、その時点ではそこまで惹かれてはいなかった。
 公開後、評判がいいという噂を聞いたので見ることにした。
 特に「歌がいいから字幕で見たいのに字幕で公開してる劇場が少なくて困る」と言われていた事にわくわくした。この手の拘りから生じる評価が上がるってことは、いい映画なんじゃないかと期待した。
 そもそも海外産は字幕で見る派だから何も困らないし、リメンバー・ミーの日本語版の歌は聞いたことが無い(か、あっても忘れてる)のでどういう歌かは知らない。ぶっつけ本番で聞く歌、見る映画。わくわくした。
 しかし結論としては、そんなによくなかった。
 
 

展開にどんでん返しが無さすぎる

 一番気になったのはここ。
 確かにキャラの行動の前提となっていた出来事が覆されることはあったし、それで驚くこともあった。奥さんめっちゃ歌うまいとか。でもそれは小さな驚きでしかない。
 
 一方ストーリーのキモであるミゲルの先祖に関しては、あまりに直球。分かる人はヘクターが出てきた瞬間どころか、デラクルスの高祖父疑惑が出てきた時点で、予告に登場していたヘクターを思い出して「ははぁ、こっちが本当の高祖父って展開だな」と分かるかもしれない。
 始めはデラクルスは偉大なミュージシャンとして描かれるが、明らかに俗っぽく栄華と名誉を前面に押し出した描かれ方なので、当然その評価がひっくり返されるというフラグが立っている。なんかうさんくせーなと。なのでミゲルが必死に彼を追い求める展開があっても、はたしてどういうひっくり返され方をするのか?という点に注目しすぎた。そこまで身が入らなかった。
 ただ、だからずっとつまらない、というわけではなく、考えながら見るのは楽しかった。ミゲルがパーティで演奏し始めた時は想像が膨らんだ! デラクルスがどういう反応をするのか、流してるクラブミュージックから思うに「もうその音楽は古いね」と笑ったりするのか、ミゲルの才能に嫉妬して許しを与えない展開か、等々。
 だからこそ、デラクルスの本性も特に驚きはない。ミュージシャンが人としてはクズだったりパクリが平気だったりするというのは、物語としてもあるいは現実としてもよくあることだ。頻度としては少なくても、よくあることとしてインプットされる属性だ。だからデラクルスがそうだったんだよと言われても、悪役として設置されたんだねと確認しただけに過ぎなかった。
 
 そしてそれからあとは何もない!
 
 こいつがアレだったということはヘクターがモノホンなんだなと察しがつくし、実際にそうだし、もうその後のドタバタも予定調和の範疇なので「でも、もしかしたら何かあるかも…」と思いながらつつがなく終わった感じの映画だった。狐につままれたような気持ちになりました。
 
 

同時上映のアナ雪が思ったよりも良かった

 なんで映画見ながらそんなに驚きてえんだよと思われるのかもしれないけど、原因の8割は多分こいつのせい。リメンバー・ミー見たいけど外出するのだるい、けどこの新エピソードは見たいから見なきゃ。と思う程度に元々好きだった。
 そして、思ったよりも良かった。アナとエルサが仲良くしているのには和むし、オラフとスヴェンのリズミカルな訪問は楽しい。
 
 ハラハラドキドキとまでいかなくても、短い時間の中で おっ と思う流れがけっこうあった。パーティやるのかと思ったらやらないし、伝統持ち帰って見せる(見せた後に私たちの伝統は他の人たちの伝統から見つける物じゃなくて…って流れ)かと思ったらダメになっちゃったり。
 特に、手袋いっぱい並べてあったりして~?というフリがマジだった所が好き。
 エルサの諸問題はいくつか解決したようだけど、いくつかはまだ解決している最中であって…言ってしまえば傷跡は残っている。そういうことは世の中に沢山あるものの、それをシリアスになりすぎずに描くのは難しい。まだ解決していないのか…とかいつまでウジウジしてんだよ!と思われかねないから。
 でも、浅くもなければくどくもない描き方でよかった。人によってはあの1カットはギョッとするだろうし、ふふって笑っちゃう人もいると思う。
 多分、エルサって、ちょっとめんどくさいんだよなw めんどくさいと言うのはひどいけど、思っちゃうのは仕方ない。これはエルサの特徴のうち、めんどくさいなwというちょっとした笑いどころとして用意されていると思う。メンタルが弱いわけじゃないけど考えこんじゃうところがあったりな。でも、こいつめんどくさい奴なんだよ~wwって描かれ方されたら、一気に毒になりそうな危うさもある。このキャラ造形がなんか好き。
 
 話がずれたけど、このエピソードはオチがいい。すったもんだあって、さらっさらの雪に埋もれてるオラフがやけにかわいらしい、そしてアナとエルサの出した答えは予想ついてる人は予想してたんでしょうが、私は虚を突かれた。要は青い鳥なんだけど…青い鳥のストーリーラインをなぞってるってことに気づいてなかったし。
 ていうかオラフが雪だるまとして生き生きしすぎて元々の出自を忘れてたんだよ!!
 そういえば君はそういう存在だったな…と二重に驚きがあった。でもオラフも自分のこと忘れてたと思う。
 
 こういう流れで先にびっくりしていたので、リメンバー・ミーに関しては、お前既存キャラの新エピ以下の目新しさかよと思わざるをえなかった。
 ちなみにアナ雪に悪い点がないわけじゃない。クリストフは今回描写としては割を食ってるなと思った。あのギャグは笑っちゃうんだけど。クリストフはアナに対するヒーローというキャラではないよという演出が、嫌な人はいそう。
 あとクリスマスの話で盛り上がっちゃってるけど、外ではもう桜が咲いてるんだよなあ…。一番クリスマスのことがどうでもいい時期に公開されてしまったのは残念。
 
 

わりとヘクターがよくわからない

 気になった点二つ目。
 ヘクターは最初はウソつきで、出国審査をズルして通り抜けようとしちゃうし子供に取引を持ち掛けるようなキャラ。それがホントはいい人で…というのはいいんだけど。
 本当に「いい人」でしかなくなった。
 序盤は皮肉っぽさというか?斜めに構えてる所が見られて、でもその分、望ましい形からあぶれてしまった人と通じていたりする多層的な面があったと思う。
 けど色々発覚してからは、汎用人型善人って感じ。序盤の雰囲気がマジでまるで無くなったのがわからない。私が何か見過ごしていただけなのか? 自分もミゲルも死にかけてるからしょうがないのか。
 でも話終わった後のヘクターは、もう他人をおじさんやらいとこやら呼ぶことはないしあの場所にも行かないだろう……って思っちゃうぐらいになんか違う人だ。実際はどうだか知らんので、もしかしたら、よくあるように背景とかでこの疑惑を否定していたりするのかもしれません。そこまで細かい描写は目に入ってない。
 
 大勢が讃えるデラクルスを一人皮肉るポジションも、真相を知ると印象が変わってくる。ウソつきと見せかけてそうじゃなかったって所も。……なんでもっと怒ってないの? そして目の前にいると怒りだすの? 自分の写真が祭壇に飾られないような状況で何十年も、何を考えてデラクルスのバカ騒ぎを眺めていたのか、私にはさっぱり分かりません。自分の作った曲を他人に盗まれるという行為が、ヘクターに上手く重ならない。
 てか序盤の借りパク常習は何だったんですかね? それだけ生者の国へ行くのに必死だったって意味?
 「リハーサルしろよ!」という台詞はヘクターが音楽家である(一方で、デラクルスは…)というフラグを示す良描写だし、「子供の前だぞ」ってシーンは面白くも根の善人要素が滲み出ていていいんだけどなあ。
 
 

なんてミゲルに都合がいい話なんだ

 三つ目は、そんなこと言うなやって指摘ですが気になったんでしゃーない。
 発生するトラブルを解決できるから都合がいい、という意味じゃない。そこは素直に楽しめる。
 
 一番、都合がいいなと思ったのは、デラクルスが悪人だと分かった途端にデラクルスが高祖父じゃないと判明したこと。
 正直、普通ならそこを気にしなかったと思う。でもミゲルが「人殺しの血を引いてなくて良かった!」というようなセリフを言った途端、めちゃくちゃ気になりだした。
 だったら人殺しの血を引いてた方が面白いよなあ!!?
 偉大な音楽家だと思っていた高祖父は盗人かつ人殺しで、音楽によって確かに一時を分かち合った人はその被害者で…という流れの方がドラマチックだと思う。綺麗な血でよかったねって話に何を思えばいいのか。そらよかったわな。よかったってだけです。何も乗り越えてないよ。障害がなくなっただけ。
 
 他にも、行方不明になったと思ったら翌朝発見された子供がにっくき音楽を始めてもなんか察してくれる家族とか、たった一年でミュージシャンの栄誉を取り下げて無名の人間の評価が上がるとか、トントン拍子に話が進みすぎ。あの世界でもリメンバー・ミーが上映されてたのかなって思うくらい。
 そのくせクライマックスで妙にタメるのがいやだった。見ながら「はよ弾け」とずっと思っていた。今にもヘクターが事切れそうって時に、絶対そんなことさせないと思いながら帰ってきて、傍のギターを抱えて走って帰ってきたのに、何故、そこでタメる。弾くために帰ってきたんと違うか。なんで「ハッ…ギターがある……!」みたいな反応をするのか。
 
 

音楽の力 ってなんだ

 テーマの一つと見せかけて全然そうではないような「音楽の力」。
 端々でそれはちゃんと主張される。正確には音楽の重要性とか才能の重要性。「殺そうとしてる!」あたりはミゲルの持つ音楽の才能描写が非常に強い説得力を持っていたこともあり、映える場面だった。
 でも、音楽の力ってなんなんだろう?
 
 認知症を回復する効果があるとかじゃなくてさ。音楽に力があるってことを私達は知ってると思うんだけど、この映画において私はよく分からなくなりました。何が分からなくなったのかも分からないくらい。
 
 なんていうか、この映画で描かれているのは音楽の力じゃなく「力のある音楽」だと思う。
 というかこの映画に限らず、音楽万歳映画が称賛するのは大抵、音楽の力じゃなくて力のある音楽。ヘタクソの音楽はダメ。空気読んでないのもダメ。犯罪者もダメ。多分犯罪者の血を引いている人の音楽もダメなのでしょう。音楽にはそれを乗り越える力がないと判断されました。実際、そういう展開にすると「犯罪者の血筋」に関する価値観闘争に発展するので正しい判断だ。
 正直、音楽の良さに関して血統主義に片足突っ込んでるところが薄気味悪くてノリについていけないみたいなところある。才能ない奴の血を引いてるかと思ったら、本当は才能ある方の血を引いてたぜ、って展開がものすごく上手く機能した結果だと思う。自分のルーツが、あるいは主人公として数多の子どもの分身となるキャラクターのルーツが、誰にも崩されない確固としたものである事は重要だと頭では分かっているけれど。ちょっと不気味だ。
 力のある音楽を、音楽の力として伝えることが常に失敗するわけではないんだけど。
 
 それに単純に、音楽は人々に感動を巻き起こすよな。それが音楽の力だと言われたらそうだと頷いてしまうくらい。
 だからお話としては、ミゲルは絵画の天才でも演劇の天才でも何でもよかったんだけど、他人を感動させるノウハウが一番確立されているのは音楽だから。だからミゲルは音楽の天才として設計された。……それが「音楽の力」なのかもしれません。
 
 

ていうか親戚って家族か?

 私は家族じゃないと思う。あくまで親戚は、血のつながりがあるだけ。
 それにミゲルが作品を通して交流を深めたのは死んだ親戚であって、交流を経て遠い親戚を家族だと思うようになるってのは全然いいよ、でも今生きてて一緒に暮らしてる家族とは衝突の方が多かった。にも関わらず、死んだ親戚と交流を深めたら、生きていた家族との間にあった蟠りも解消された。
 
 なんで?
 
 まあ認知症が回復したら音楽すげーってなるから認めるのも分かる…って絶対そういう意図の描写じゃないから。「ミゲルが家族に嘘をついていた」とか「音楽が家族をばらばらにする」点に関しておばあちゃんめっちゃ怒ってたけど、その点は特に何も改善されてないよ。でもいい流れになったしエンドロールも近いからおばあちゃんは急に物分かりよくなった。
 実際のところ、音楽によってココおばあちゃんが「戻ってきた」のだし、音楽は家族をばらけさせるものではなく、一つにしてくれるものなんだと思えたからおばあちゃんの態度は軟化したのだろうけど…。ラストシーンは本当に、家族が一つになったという描写としてとてもいい。幽体離脱ギター好き。シーンだけ抜き出せば良いシーンなんだ。
 それに、死者とのつながりを大切にすることを嫌がってるわけじゃない、そうすることで生きてる人と向き合うこともある。
 でも作中のミゲルのしたことは特にそういう行動ではない、自分が今一緒に暮らしてる家族とぶつかり合ってから分かり合ったわけではないだろ。って思う。
 親戚/家族・死んだ/生きてるの区別も本筋じゃなくて、要は違う人じゃん。
 
 ミゲルの父母が何を考えてるのか、内面描写もほぼほぼ無かったので何の思い入れもないし、ラストで家族が増えても感慨もクソも無い。まあココは死んでんだろうなと思ったな。
 果たしてこれは家族愛を描いた映画だったんだろうか?
 
 

犬死んでね?

 はっちゃけてるけどかわいい犬がカラフルな聖獣と化した時、正直どう反応すればいいのか困った。
 それがいいことなのか悪いことなのか判断つかない。そうなる必要、あった? ていうか死んだのかと思った。
 死者の国の存在になったということなのか、元々そうだっただけなのか? そこは想像の範疇でいいと思うけど。とにかく困惑しました。犬死んだの? もしこれが避けるべき事態でないというのなら、ミゲルが死者の国の住人になってもそんなに困らないよな…? 無論、本人の希望が第一なのでミゲルが死んでいいということにはならないけど、じゃあ犬の希望ってなんだよって思っちゃう。
 元々ダンテが聖獣になりたがってるみたいな描写があって、私がそれを見逃していただけだったんだろうか。
 
 

死者の国ってそんなによくはない

 超々個人的な感想。死んだらみんな同じところに行ってそこで暮らしている、ということは別世界というより、寿命が延びたようなもんだと思う。現実の延長です。
 だから実際にもしもメキシコに死者の国があったら、生者の国と同じような世界なんだろな。と思うと全く夢がない。麻薬が効きそうにない体なので、もう少しマシかもしれないけど。
 
 それに、殺人者と被害者が同じ世界に住み続けるシステムって怖いよ。
 もしも私が殺人者だったらもう一回殺しに行ってみるだろうし、被害者だったらもう殺されないためにはどうしたらいいのか分からなくなる。
 それに生きていた体がどうであったのかが無視されない、死に方なんてどうでもいいという考えはないようだから……支配感のために殺人する人にとっては、死者の国からが本番だよな。死者の国の警察は大変だな。
 
 流石に作中でこんな描かれ方はされていない、ひねくれた見方なので、間違った感想とでもいうべき感想だけど。天国と地獄って概念はこういう懸念にも対応してるんだなと、変なところで感心してしまった。
 
 

いい歌にはもう飽きた

 感想という名のうんこをひり出してしまい申し訳ありません。でももう飽きたんだ。
 リメンバー・ミーがそこまでいい歌だと思えなかったのは歌や作品の問題ではなく、「感動するストーリーと感動する歌」という合わせ技に慣れてしまって、あとは琴線に触れるか否かでしかなくなってしまったんだと思う。
 そして今回は触れなかった。それだけ質の良い音楽と映像をバンバン輩出しているという点でディズニー・ピクサーは凄まじい会社だ。
 
 そして歌だけじゃなく話にも飽きてる。波乱があって一度は何かしらダメになってしまうけど、力を合わせて頑張る話。王道だから好きです。何度でも見たい。でも、何かの要素に既視感を覚えると一気に陳腐なものになってしまう恐れがあるみたい。
 盗撮で悪役の自白を公開って、ズートピアで似たようなことやってたな…と思った瞬間なんかゲンナリした。この行動ってあまり劇的ではないと思うんですけど、手っ取り早く成敗できるから使われるのかな。盗撮や盗聴が必殺技として決まってもなあ。なんかな。
 ショーの体裁を取り繕いつつ、水面下で攻防するシーンは結構ハラハラして好き。色んなキャラクターが活躍するという点ではこのストーリーラインから外れてほしくはないんだ…。
 
 

基本的に良質だと思うが好きになれない作品、という見方

 ああだのこうだの文句を言ってきたけど、「リメンバー・ミー」は問題のある映画、と言いたいのではない。
 美術や映像や音楽は本当にレベルが高いと思うし、ミゲルの歌声は聞く人をはっとさせる。これは何物にも阻害されない、いい歌声だと思った。だから人に見せたくないとかクソ映画とは全く思わない。ストーリーだって伏線を張りしっかりと回収し、メッセージは真っ直ぐで、これはいい映画なんだと思う。好きな要素だっていっぱいある。
 
 そういう風に、リメンバー・ミーについて考えているうちに思い出したのは、ピクサーの前作、「カーズ/クロスロード」です。
 私はこの映画、見ました。確か同じ時期だか同じ年だか「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」が上映されていて、それを見たついでに何かもう一作みたいなと思って、見た映画だった。
 
 これは、いい映画だった。
 私は「カーズ」シリーズを一作も見たことがなかった。キャラクターは誰一人として分からないし、カーズという作品があることすら、うっすら知っている聞いたことあるかな程度。にも関わらず物語にすんなり入り込めたし、車が喋ってレースする世界観に何の違和感も覚えなかったし、途中までは主人公に自然と感情移入できた。本気の物語だと思った。
 これはすごい。
 全然シリーズに馴染みのない人間を引き込むには、物語そのものに強力な牽引力がないといけない。その点で比較すると、正直、キミきめは全くもってそういう力がなかった。「サトシとピカチュウの出会いの物語」というフックは手堅く、強かったけど、物語自体は大したもんじゃない。ちょっとつまらないくらい。ポケモンポケモンのいる世界の魅力でもってる話だった。もうポケモンさえいればサトシすら必要なくて、「人間役」として誰かが実行すればいい感じ。この辺は語ると長くなるのではしょるけど。
 「夢破れた者」の描き方も力量の差があって、中身のあるなしで言えば、絶対に「カーズ」の方に軍配が上がる。そこが主題か否かという大きな違いはあるけれど、キミきめはもう何か言ってるようで何も言ってないのと同じみたいなじーさんがいただけだし。そこ被っちゃったかー…と気まずさすら覚えた。
 
 でも、私は「カーズ/クロスロード」、全然好きじゃない。
 好きな映画がいい映画ってわけじゃないけど、いい映画は好きなるものだと思ってた。客観的に見たらいい映画だけど全然好きになれない、という感覚を初めて味わった。※だからといってキミきめが好きというわけでもないです
 理由は、終盤からの展開とオチが気に入らないの一言で済む。
 どんでん返しという意味ではものすごく驚いた。そういう展開が来るかと衝撃だった。マックィーンが勝利をつかむのは難しいと薄々感じていたし、でもどうするつもりなのか分からなくて、そこに出された答えには新しさを感じた。
 でも、新しいけど、かっこよくないよ。代わりに勝ってもらうって。
 そういう意図ではないことは分かるし、現実的で後の世代にも継がれていく美しい流れなんだけど、なんか「代わりに勝ってもらったのか」と思ってしまった。一年前に抱いた感想だから詳しい内容は忘れてて、実際は夢の代替わりってロマンないなってニュアンスだった気がする。とにかく一度そう思うと、そもそも、そういうことしちゃっていいの? ていうか車体の世代差はどうなったの? …と、色々気になり始めて、感動しにくかった。
 
 そういう気に入らなさと、「でも物語はすごい」という感じ方が、心の中で同居している。「リメンバー・ミー」もそう。
 
 

でも、ピクサーは悪くない

 と思う。ここまで私が述べてきたことは全て、私が思っているだけのことだ。確かに映画の感想だけど、映画には関係ないとさえ言える。こんなん思われても作る側からしたら知ったこっちゃねーだろう。
 面白いストーリー、鮮やかで目新しい美術、生き生きとしたキャラクター、壮大な音楽……映画が追求すべきものはその辺りで、それらが上手く組み立てられ、組み合わさっていることが大事なのだろう。そしてピクサーの映画はそこを軽々とクリアする。実際には軽々ではないだろうけど、実に軽快なステップでぽんぽんと目標をクリアしていくように見える。大人も子どもも楽しめる作品として成立している。
 
 だから気に食わない何かがあるとすれば、その原因は私にある。要は、私に合う映画ではなかったのです。私個人の考えや感覚が、この作品と概ねちょくちょく合わなかったにすぎない。
 そしてそれは技術やノウハウで乗り越えるような壁などではなく、リメンバー・ミーは特にどこかを改善すべき映画ではありません。
 だからきっと、ずっと好きじゃない映画なんだろうな。